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今日も風呂後トイレに行った

※実際はシャワーばかり浴びるし、身になる話は何もない

交際とは1+1=1ではなく1+1=2ではないか

交際して2年が経つ。
2年という月日が特別長いとは思わないが、いろいろなことがあった。
交際相手が会社に行こうとすると強い吐き気や不快感を得るようになり、心療内科に初めてかかったその日に診断書を出せるほどの症状と言われたり、その後休職して起業したいからと高額セミナー(額面の分期間も長いんだけど、どうしても額面に目がいく)に申し込んだり、なんの縁もないのに突然大阪の会社に興味があるからエントリーしたいと言い出したり、今思い返しても盛りだくさんだった。大阪の会社に興味があるという流れから本格的に転職活動を開始し、先日無事に終わった。
2年、というか向こうの調子が崩れてからの約1年で別れ話もあったけど、お互いよくここまで来たと思う。とくに交際相手の方はなんというかあらゆる部分にあらゆる事故誘発ポイントが仕込まれていて常にインシデント発生手前レベルの人生なのだが、よくもまあ死ぬことなく生きてきたなあと常々感じる。ときメモでいうと全員が爆弾を抱えているのに卒業1週間前。実際にはいくつか事故が発生していて、そのたび本人や家族に大きな影響が及んでいる。正直なことを書くとそういうことは現実に存在するという認識自体はあるが、自分のまわりに可視できる状態で存在していなかったのでそういう話を聞いても「そんなことが本当に存在するのか」と思ってしまった。先ほども書いたが盛り込みすぎ、というのもある。
私がその立場だったらあのような穏やかさは育たなかったに違いない。交際相手の肉親や過去の交際相手の話などを聞いていると憤ることが多い。私がどう思おうが向こうの家族には関係ないのだが、やがては家ぐるみで関わることになると思うと少し気が重い。自分が今まで生きてきた環境は当たり前なようでいてとても恵まれたものだったと再認した。家庭環境によってやりたいことができない人、育ちたいように育てない人もいる。
 
2年経つのでいいなあと思ったところを書こうと思ったんだった。一言で言うなら顔がいい。人の内面は顔に出る派なので、顔が好きイコールそれなりに性格も好きなのだろう。あくまで一例だが高校生のころに集まっていたグループにずいぶん美人の女性がいた。誰が見ても美人と思うようなはっきりとした顔立ちで、なんというかすごかった。でも好みの感じがしなかった。整っている人を見るのが好きなので彼女に対しても同じように盛り上がってもよかったのに、これだけ美人なのになんでだろうなあと思っていたが、仲良くなろうと話しかけるとなんだかすっきりしない会話が続く。話が噛み合わない。価値観がお互いにずれている。そんなことがしばらくの期間続き、ははあなるほどと思ったので彼女にはこちらからは関わらないようにした。高校卒業ののち何年かしてから彼女の発言により私がぶちギレるのはまた別の話で、大変どうだっていい話でもある。そんなことが何度かあり、なので、外見における評価はある程度性格への評価も兼ねる。ので、交際相手の顔が大変好きな私は交際相手の性格もまた大変好きだと言える。交際相手はとくに年上に好かれる。なんというか、素直で、こちらの意見を否定せずにリアクションしつつ理解もしつつ聞いてくれて、なおかつにこにこしており、付き合いもよく、かわゆいのだ。われわれはいわゆる恋活サイトで知り合ったのだが、10も離れているような人からのアプローチがすごかったそうだ。私は67歳くらいの人からアプローチをもらったことがあるがまあどうでもいい。交際相手の顔を評するなら「ターゲットが中年女性、高齢女性ならまめに訪問するタイプの詐欺の成功率85%」である。社交性とかわいがりたくなる感が強い。全身からそういう雰囲気を出しているので話しているとすごく常識的で穏やかでいい人だなあという印象をほぼすべての人に与えるのによくよく話すと「まず僕は真人間でほとりくんはちょっと新人類的なところあるでしょ、僕は真人間だから原始時代にはみんなで協力して穴掘ってマンモスを仕留めてたんだけどほとりくんは新人類がゆえにサーベルタイガーを仕留めようとするからサーベルタイガーにまたがってサーベルタイガーの牙持って「おらぁ!」とかやるじゃん。でも人類の進化にはそういう奇特な人がどうしても必要なのよ、だって僕らしかいないのにマンモス狩りつくしたら食べるものなくなるでしょ、でもほとりくんはサーベルタイガーの狩り方を知ってるでしょ、そしたら今度はサーベルタイガーを食べられるようになるでしょ、ほとりくんはそういう人だと思ってるよ」という話をにこにことしてくる。これは私と交際相手が初めて会った日の会話なのだが、交際相手はこの日を振り返って「もし初めて会う女性とどんな話をしたらいいか聞かれたら絶対にサーベルタイガーの話だけはやめろって言う」とのこと。先に自称していたように交際相手は真人間には真人間なのだが、真人間が新人類側を通って真人間に戻ってきたタイプなので、まあ、私を評しているよりもよほど奇特である。家でよく兄弟で豊作のダンスを踊っているらしい(本当は豊作のダンスではなく階段を降りるときのダンスらしいのだが、私の中では奇怪な踊りはすべて豊作を願うためのものと思っているし、そもそも階段を降りるときのダンスってなんなんだ? 階段の増築を願うダンス?)。ちなみに「サーベルタイガーの牙持って「おらあ!」」はリズムと勢いにやられてしこたま笑ってしまったので、交際を意識して初めて会う人にはどんどんサーベルタイガーの話をして相手のリアクションを見ればよいのではなかろうか。
付き合うにあたって何が重要かという問いは価値観の一致と、不一致だったときにすり合わせできるか、と答える。食文化や金銭感覚、趣味への時間の費やし方、生活リズム、連絡頻度、優先順位など、合うなら合う方がいい。ただ、もしそれが大きくずれているときにお互いの意見をどんな形にするか、どのように伝えるかが肝要である。
カップル共同アカウントというものを見ている。ひとつのツイッターアカウントをカップルで運営するという、初めての共同作業というか初めての子育て的アカウントであり、たまごクラブひよこクラブの写真をアップするに至るアカウントは少ない。見ていると女性側が感じる、付き合う中での何がしかの不安がよくツイートされており、その中でも「彼氏のゲーム時間が長い」は複数のアカウントで書かれている。「彼氏のゲーム時間が長いのってどう思いますか?①ひどい②ひどくない」や、「彼氏が何度注意してもゲームをやめてくれない場合、どうしますか?①別れる②別れない③ゲームを消すなどペナルティを与える」などのアンケートも出ている。質問文に詳細情報がまったくないことやペナルティ内容がきつすぎなどはさておき、なんというか、がんばれ男性陣といいたくなる。私も交際相手もよくゲームはするがとくにもめたことはないので「彼氏がゲームばかりで自分をかまってくれないからさみしい、怒ってしまう」という回路にあまり縁がない。それどころかいっしょにゲームをして「生命の粉塵が遅れてしまって大変申し訳ない」「薬草笛しか吹けなくて申し訳ない」という思いが大きくなる。殊勝になるからいっしょにモンハンしたらよくない? と思ってしまう。なのでまずもってこの状況に陥らないのだが、もしこのようなもめ事があってもうまいこと解決できる自信がある。何かあってもそのようないさかいにならず自分たちが穏やかでいられるのは彼の柔和さとこちらの気持ちに寄り添ってくれる思いやりの強さによるし、私が自分の気持ちをコントロールしてやんわりとした伝え方ができるようになった成果でもある。まずもって私はゲームでは怒らないが、どうしても自分の気にくわないものへのあたりが強く、先ほどのアンケートを出す気持ちもわからないわけではない。彼が鬱と診断されたときは「どうしてもっと早く受診しなかったのか」と責めそうになった、というより覚えていないだけで実際に言っているはずだ。私だってもう少し状況が違えば「彼氏がうつ病と診断されたらどうしますか?①支える②支えない③治るまで距離を置く」みたいなアンケートを取っていたかもしれない。いや自分の話がしたいのではない。とにかく交際相手は柔和である、ということが書きたいのだ。交際相手は波風立てることへの恐怖心も少なからず持っているだろうが、私に対しては気になったことは言うし、波風立てずに済むうちに話し合いに持ち込める冷静さも持っている。お互いに対しておや、と思ったことがけんかに至らず話し合いによって解決できるのは簡単なようでいて難しい。お互いヒートアップしていないこと、お互い意見を聞ける状態であること(前提として意見=批判の認識ではなく意見はあくまで意見という認識も必要)、そもそもの議題が湯沸し器がごとく沸騰し冷静さを欠いた支離滅裂で一方的な内容でないこと、暴言など故意で相手を傷つける発言をしないなど、必要事項は複数ある。どちらか片方がどれかひとつを満たしていないようでは成立しない。これが揃うとどうなるかと言うと「なんですぐそういうことするの? そんなことされたら私だってこう思うに決まってるじゃん、考えたことないの? だいたいこの前だって私がこうって言ったのに…」という言い方が「さっき彼氏殿がこうしていたときこういう理由で少しむっとしたのでなるべくならこうしてもらえるととても嬉しい、もちろん可能な範囲でよいしこちらもなるべく気にしないよう努める」となる。いやなるのか? まあわれわれはこうなる。交際相手は強く言われると殻に入ってしまうタイプなので前者の言い方だとしばらく殻から出てこなくなるし、激昂しやすい人にはその態度がまた火に油となる。交際が始まってからお互いとてもいい意味で自由になり、ぐんぐん成長し精神的にも余裕が出てきた。おかげで相手の考えを聞く時間と、自分の考えを話す時間が増えた。交際相手はいろいろなことを考える人なので、たまに突拍子もない質問を受ける、「神様っていると思う?」「人生って何だと思う?」「運命ってあると思う?」それらに自分で考えて回答し、相手の考えを聞き、なるほどなあそういう考え方もあるんだなあと自分の中に相手の考えが自然とインプットされていく。もしかしたらこういうことが恒常的にあったから聞くこと、話すことも自然と行われ、その副産物として価値観の相違が発生した際のすり合わせもできるようになったのかもしれない。そう思うとすごくないですか彼氏殿。ちなみに「けんかしないカップルってどんな付き合い方してるんだろう?」というツイートをカップルアカウントで見た。おそらく「自分の意見も言えないような窮屈な付き合い方をしているのではないか、たまには自由に意見してけんかに発展してもよいのではないか」という趣旨であろうが、自分の考えを述べる手段=けんかとなっているのであればその視野の狭さならけんかになっても仕方ないのかもなあと思う。
あとはなんだろうな、私が散歩やゲームなどのおもしろそうなことをしていれば真似してくるのもかわゆい。デリケートゾーンを剃毛しているのだが「僕もしようかなあ」と言い出す。男性のパイパン(という言い方でいいのか?)ってどうなんだろう、快適なのだろうか、部屋に下の毛が落ちないのは衛生的メリットだし気になるのでやってみてほしいところ。かといって趣味の分野にずかずかと踏み込んでこないのもいい。私も彼も本と音楽が好きだが作者だのグループだのの趣味はあまりかぶっておらず、そこにはあまり関わってこない。そういうプライベートな部分での線の引き方がうまく、私が大切にしている本があり、彼が読んでみようと本屋を回ったが絶版になっていたので買えなかったことがある。それならと私物を渡したら途中とちゅうで感想をくれたり、ドッグイヤーが大量についていてかなり読みづらいだろうに「どういう理由でドッグイヤーがついているのか考えるのもおもしろかったよ」などと言ってくれる。他人が大切にしているものに対して土足で踏み入らない、しゃんとした姿勢で体験してくれる、そういう真面目なところもものすごく素敵だし、もっといろいろなことを共有したいなあと感じさせてくれる。総括して「真面目でいい人」なのである。
交際して2年が経ち、お互いいろいろなところが変わってきた。これからだって予想できないような変化もあるだろう。お互い無理をしないでいけるところまでいければいいし、もしそれが難しそうなら進むだけの体力を蓄えられるまで休めばいい。無理をすることはない、頑張ることは必ずしも美徳ではない。どのような変化があっても、これから先も彼氏殿が彼氏殿であることには変わりないし、私が私であることにも変わりはない。大切なのはそれだけ。
 
 

まったくなんでもない話

平日の朝6時からカレーとかお好み焼きとか、鯖の竜田揚げなんかをわしわし食べる。昨晩のおかずとまったく同じものが並ぶときもあるし、炭水化物の種類すら異なるときもある。食卓とはかくも変幻自在であることを認識している。食卓は自由だし、愛は食卓にあるし、自由とは愛かもしれない。予期せぬ愛に自由奪われるかもしれない。波多野裕文も食卓について歌っていた気もする。ファミリーレコードのマルタとかそのへんの曲。
わが家は「朝はパン、パンパパン」というCMがいくら流れようとも朝にパンは出てこない。多分昔の私が朝はパンだと消化が早いから米がいいとか言ったのだろう。その分昼にパン、パンパパン、おやつにパン、パンパパン、夜もパンのときがあるからパンパパン。もちろん夜にパンのとき、朝は具合が悪くなるほどおなかがすいている。米でも存分に腹は鳴るが。

丼ものやあんかけなど、具と炭水化物が同じ器に乗っていて食べる配分を気にしないといけないものが苦手である。必ず具が余る。厚みこそ違えど米とソースが同じ直径で器におさまっているドリアですらチーズが余る。器の内側の少し焦げた歯ごたえのいいチーズを差し引いてなお、本来米の上にあるべきやわらかいチーズが余る。何が原因なのだろう。空間把握みたいなものがへたくそなのか、エロ同人みたいにいっしょにいこうとかは言わないのでドリアはさすがにうまいこと終わってほしい。でも米が余ることに異様な恐怖心を抱いているので余るのは米であってほしい。盛大に書き損じている。余るのはおかずであってほしい。
前述の通り朝からカレーがいける分、朝からカレーにいけない人よりカレーに遭遇する率が高いのだがもちろん1回も同時に食べ終わったことがなく、いつもルーを余らせては水を飲んでいた。今朝までは。

今朝のカレーはいつもと違った。色が濃かった。デミグラスらしさを感じる色味と、視覚の期待を裏切らないコクだった。一瞬ハヤシか? と思ったが口にしたときのあの刺激はまごうことなきカレーである。ハヤシというとハヤシヤスノリという名前を思い起こすのだがいつになったらJanne Da Arcは復活するのか。中学生当時あれほど夜巣夢を読んでいたことはもう遠い昔のことなので、一瞬自分もサイト運営しようと思ってしまったことは墓場まで持っていきたい。
ハヤシはわきに置きたいがわきに置けるほど嫌いなわけでもないので小わきに抱える。おおよしよし、お歌がじょうずですね。カレーのいつもと違うところにはルーが少ないことも挙げられる。どうせ今日もルーが余るのだろうと思ってルーと米の比率がスプーン上で6:4くらいになるようにしたら3口目でわかった、明らかにルーが足りない。これじゃ絶対間に合わない、味つけ要素のない米のままの米を食べるのはかなりきつい。味つけ要素のない米はなぜか喉に詰まるので若干吐き気を催すタイプである。兄がカラオケでAKBを歌っては吐くという習性があるのでお互い喉が弱いのかもしれない。なお妹はカラオケで泣く習性があるのでメンタル不全といって差し支えない。即軌道修正しルーと米の比率が逆になるようにする。米のままの米が苦手な質ではあるが、同時に紅虎餃子房の油淋鶏1つで米を茶碗の半分やってしまうので味さえあれば口に入れる米の量はあまり問わないのである。油淋鶏って紅虎餃子房くらいでしか食べないんだけどレンコンって入ってるものなの?
結構辛いルーだったので米多めの方がいいかも正解かもと思いながら食べる。なんだか妙においしい。今まで家で出てきたことないカレーだけどなんかめっちゃおいしい。わけわからん感じでおいしい。ルー少ないしこれならまさかの同時完食かなとわくわくしつつも夢中になって食べていたら皿が白いことに気づく。米が余り始めている。勘弁してくれ逆パターンかよ、どっちにしろへたくそかよ。
という夢を見た。
ならよかった。米はスプーン3杯くらい余った。ふりかけをかけるには足りないし、カレーにするにはルーがないし、お茶でごまかしごまかしやったが途中まで同時完食を目指せそうだっただけに妙な不完全燃焼感がある。燃焼感の「焼感」からにおう焼売らしさ、完全に目線がデブなので脂肪燃焼をがんばってほしいところ。買って数回しか履いていないニューバランスのランニングシューズが泣いている。まあ明日の自分ががんばってくれるでしょう。というかまあ体重だけなら標準くらいだし、まだ大丈夫、大丈夫。そのうち自分がどうにかするでしょう、自分で自分に期待しているので他力本願カウントにもならないでしょう。ハヤシをこのまま抱えていれば二の腕引き締まったりしないかなあ。

非ンスタグラマーが鎌倉でカリンバ奏者と遭遇した話

叶姉妹がインスタグラムを始めたというのでフォローするべくインスタグラムを始めた。叶姉妹が投稿する写真の華やかさとそれほんとに画像に関係あるのか? と聞きたくなるタグ付けのバランス感がたまらず結構見てしまう(のちにインスタグラムのタグは結構適当につけるものらしいと肌で感じるようになる)。ただ延々叶姉妹のゴージャスな肉体ばかり出てくるタイムラインというのもなんだかむせかえってしまうので、自分も何か投稿したい。いわゆるインスタグラマーなるものを体験してみたい。でも手持ちの画像はペアーズで見つけたおもしろプロフィールやツイッターのカップルアカウントのおもしろツイートのスクショしかないし、たまにネイルの写真があっても自分にとっての鮮度がないしで鎌倉へ行こうと思った。

鎌倉といえばほとんどの人が小町通を食べ歩き鶴岡八幡宮を参拝して江ノ電使って長谷寺へ、と言うだろう。縁あってこれまでに何度か鎌倉へ行っているが、やはり小町通→鶴岡八幡宮の流れは誰が相手でも必ずやった。おかげで今年はすでに3度くらい参拝している。そのくせ鶴岡八幡宮に誰が奉られているのかなど歴史的背景はまったくわからない。距離的に決して遠いわけではない鎌倉という地に対して完全におのぼりさんとなった自分がいるのがわかる。物理的距離と心的距離が比例しない。鎌倉を観光名所としてしか見ていない。まったく情けない話である、たとえおさななじみの女の子がアイドルになってしまってもその子が自分のおさななじみであるという事実は何も変わらないのに。急に思い出した神のみぞ知る世界は12巻くらいで読み止まっている。図書室のあたりで一瞬バトル漫画に行きかけていた気がするのでその後を心配しているのだが、無事に終わっただろうか。

さてそこでいつもなら行かない、「私の知らない鎌倉」を発掘しようと思った。「私の知らない鎌倉」というのはもちろんインスタグラムでつけようと思った文章タグである。36番煎じくらいならいいな。

小町の反対の改札を出てすぐ見つけた交差点をぐっと右に行く。改札の名前がわかってないのは少し心的距離が縮まったように感じる。とにかく右にがんばる。がんばりまくったら5部屋全部が何かの店になっているアパートを見つけた。今小路荘という。1階に地域活動センターや案内所っぽいのがあるのは薄ぼんやりわかるんだけど2階の服屋のとなりが占いなのはなぜかちょっと怖い。アパート前にある掲示板に「寺子屋生徒募集」と書かれているのも物々しい。服屋は入ってみたら怖くなかったけどお店のお姉さんに「あの、どうしてここに来たんですか?」と聞かれ、反射的に入らない方がよかったかなと思う。根が暗いのでこの手の質問はすべて来てほしくなかったものと解釈する。解釈はするがせっかくなのでお姉さんの話を聞くと他のお客さんもおっかなびっくり入ってくるようで「入ったら必ずなにか買わないといけないんじゃないかとか、ものすごく高いんじゃないかって心配される方が多いです」とのこと。よくてツボを買わされるのかなと思って入ったことは黙っておく。灰汁という名前のそこは、モノトーン基調でゆったり感のある服が売りと見た。

ここまで書いて結構疲れてしまった。電車で立ちながらちまちま打ち込んでいるのだが浅履きの靴下が土踏まずのところで丸まってしまって非常につらい。局地的に血流が悪い。靴下がなければ靴なんか生まれなかったのではないか。

鎌倉へ戻り引き続き右へがんばる。水曜土曜以外休業だけど開いていれば買い食いできる豆腐屋とか声を張りまくる人力車のお兄さんを見て私が鎌倉に住んでいたら事件を起こしていたかもとかいろいろはしょって寿福寺へたどり着く。北条政子がどうとか、日本で初めておやつかお茶かなにか忘れたけどなにかを扱う宗教を広めたそうで、この宗教がなかったらおやつかお茶かなにか忘れたけどそれが現代にもなかったんだなあと思うとありがたい気持ちになった。

電車で座れたし、上の説明があんまりなので調べた。北条政子臨済宗に属していた栄西を招いて建てたお寺で、栄西その人が日本へお茶を飲む習慣をはやらせてくれたらしい。今「にほんへ」と打ったら「日本へそ公園」がサジェストされて俄然興味がわいた。別日に銀座で「へそ展」なるちらしを見て、いろいろな生き物のへそが展示されてるのかと浮き足ちらしを読んだらそういうへそではない講演会らしく、残念。

寿福寺には墓地がある。北条政子源頼朝や、他にもいろいろな方が眠っている。そもそも源頼朝なんか鎌倉のいたるとこに眠っていて、その頒布の広さたるや引っ越し大好きおじさんこと志賀直哉に引けをとらない。文学館へ行って志賀直哉の名前を見ないことはない、読んだことないけど、と思いつつ墓地へゆく。妙に壁をえぐってその中にお墓を建てている方が多く、不謹慎覚悟でいうがちょっと秘密基地っぽくてかっこいい。ポケモンのルビーサファイアで秘密基地をつくれたけどああいう感じ。墓地へのあこがれが少しわく。秘密墓地を堪能して寿福寺の入り口へ戻る道すがら、どこからともなく木とも金とも言い難い音が聞こえてきて、どこかの家のテレビかなと思っていたら前方からカリンバを鳴らす中年男性が来る。京都のすき家がシックなように、一方原宿にはラジカセで延々GReeeeNを流すサイケな色味の中年女性がいるように、ところ変われば鳴らすものも違うらしく、よく晴れた明るい樹木のなかにそのカリンバが妙に合う。合うのだが、すれ違いざま少しだけ見ようと思っていたら向こうもこちらをうかがうのでおとなしく端を歩いて寿福寺を出た。カリンバはヘアピンなどでつくれるらしいのでそのうち遊んでみたいところ。父の部屋にあった気もする。
それからはとくになにか遭遇することもなく平穏であった。最終的に小町通に迷いこんでしまい、チョコレートのコロッケと鎌倉山ラスクなるものを買って帰った。帰ってから1週間くらい経つがインスタグラムには鎌倉の写真をただの1枚もアップしていない。私の知らない鎌倉とかいうタグはまだ35番煎じでとどまっていることだろう。